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第5回 インフレーション ── 宇宙の急膨張

目次

オープニング

前回、私たちは宇宙誕生のいちばん最初の一瞬——物理法則さえ崩れてしまう「プランク時代」までたどり着きました。今回はその混沌とした時代を抜けたすぐ直後に起きたと考えられている、とてつもない出来事のお話です。それは、宇宙の歴史の中でも飛び抜けて劇的な瞬間でした。

第一回から順に宇宙の始まりをたどってきました。138億年の全体像、ビッグバンという空間の膨張、その始まりにある特異点、そして、法則の崩れるプランク時代。今回のインフレーションは、その混沌とした始まりと、私たちのよく知る星や銀河に満ちた宇宙とをつなぐ大切な『橋渡し』の役割をはたしています。ここを越えると宇宙はいよいよ具体的な姿を見せ始めるのです。

その出来事の名前は「インフレーション」。日本語で言えば「宇宙の急膨張」です。ふだんインフレーションというと、物の値段が上がっていく経済の言葉として耳にすることが多いかもしれません。けれど、宇宙論で言うインフレーションは、それとは比べものにならないほど桁外れの「膨張」を指します。

いったい、どれほどの膨張だったのか。それはほんの一瞬——それこそ10のマイナス34乗秒ほどの想像もできないほど短い間に宇宙が10の何十乗倍というとほうもない大きさへと爆発的に膨れ上がったというのです。今日は、この常識はずれの急膨張が、なぜ起きたと考えられているのか。そして、それが私たち自身の存在とどうつながっているのかを解き明かしていきましょう。 結論を先にお伝えしておきます。このたった一度の急膨張こそが、夜空に星がちりばめられ、銀河が生まれ、そして、私たちがここに存在することの大もとになったと考えられているのです。少し大げさに聞こえるかもしれません。けれど、この回を見終える頃にはきっとその意味を実感していただけるはずです。それでは始めましょう。

想像を絶する、急膨張

まず、インフレーションが、どれほどとてつもない膨張だったのか、その規模からお話ししましょう。時期としては、宇宙が生まれてから、およそ10のマイナス36乗秒後から10のマイナス34乗秒後まで。このあまりに短いほんのまばたきの、さらに、けた違いに短い間にそれは起きたと考えられています。

その間に、宇宙の大きさは少なくとも10の26乗倍以上にも膨れ上がったとされています。10の26乗倍。これがどれほどの拡大かたとえてみましょう。たとえば、一個のごく小さな原子があっという間に太陽系ほどの大きさにまでふくれあがる。いいえ、それどころか、そのはるか先まで。それくらいけた違いの膨張が一瞬にして起きたのです。

第4回で光より速く空間が膨張することもあるというお話をしました。まさにこのインフレーションこそその典型です。空間そのものが、光の速さをはるかに超えて爆発的に広がっていく。ものが移動しているのではなく、空間そのものがけた違いの勢いで引き伸ばされていく。私たちの直感ではまったく追いつかない桁外れの出来事だったのです。 どれくらい非常識な話なのかもう一つだけ。ふつう私たちが『爆発的』と呼ぶような膨張でも、時間がたてば少しずつ勢いはゆるんでいくものです。ところが、インフレーションの膨張はその逆でした。膨らめば膨らむほど、さらに勢いを増して加速していく。ほうっておくと、雪だるま式にどこまでも大きくなっていく。そんな、暴走にも似た膨張が、ほんの一瞬宇宙を支配していたのです。

なぜ、そんな理論が必要になったのか

ここで、こう思われるかもしれません。「そんな突拍子もない急膨張を、なぜ、わざわざ考えなければならないのか」と。もっともな疑問です。実はこのインフレーションという理論は、ただの思いつきで生まれたのではありません。それは、ふつうのビッグバン理論だけではどうしてもうまく説明できない、いくつかの「困った謎」を解くために提案されたのです。

第二回でビッグバン理論には、たくさんの証拠があるとお話ししました。それは、今も変わりません。けれど、そのビッグバン理論にも、実は長いあいだ頭を悩ませてきた、いくつかのやっかいな「宿題」が残っていました。インフレーションは、その複数の宿題をたった一つのアイデアで、いっぺんに解いてしまう。だからこそ、多くの科学者に受け入れられていったのです。 今回は、その中でも代表的な二つの謎を紹介します。一つは「宇宙はなぜこんなにのっぺりと均一なのか」という謎。そしてもう一つは「宇宙はなぜこんなにみごとに平らなのか」という謎です。少し不思議な言い回しに聞こえるかもしれません。一つずつ、ていねいに見ていきましょう。

第一の謎 ── 「地平線問題」

一つ目の謎は「地平線問題」と呼ばれます。第二回でお話しした「宇宙マイクロ波背景放射」を思い出してください。宇宙が晴れ上がった38万歳の頃の光。宇宙のあらゆる方向から地球に降り注いでいるあの宇宙最古の光です。

この光を精密に調べてみると、実に不思議なことが分かります。宇宙のこちらの端から来た光も、正反対のあちらの端から来た光も、その温度が驚くほどぴったりとそろっているのです。その差は、わずか10万分の1ほど。まるで示し合わせたかのように、宇宙全体が均一な温度に保たれている。

何が問題なのでしょうか。考えてみてください。二つのものが同じ温度になるためには、ふつう、たがいに熱をやりとりしてなじみ合う必要があります。熱いお茶に冷たい水を注げば、やがて同じぬるさに落ち着きますよね。ところが、宇宙の正反対の端と端は、あまりにも遠く離れていて、宇宙の誕生から今まで光でさえ一度も行き来する時間がなかったはずなのです。

もう少していねいに言いましょう。光は、宇宙でいちばん速い連絡の手段です。その光でさえ、宇宙の端から端までをまだ一度も渡りきれていない。つまり、宇宙の両端はたがいに、いっさい影響をおよぼし合えていないはずなのです。それなのに、温度はぴたりとそろっている。連絡の取りようがないのに、答えだけが一致している。これは、考えれば考えるほど奇妙な話でした。 一度も連絡を取り合ったことのない宇宙の両端が、なぜ、まるで打ち合わせたかのように同じ温度になっているのか。これは、ふつうのビッグバン理論ではどうにも説明のつかない大きな謎でした。まるで、一度も会ったことのない地球の裏側の人とまったく同じ服を同じ日に選んでいたというような奇妙な一致なのです。

第二の謎 ── 「平坦性問題」

二つ目の謎は「平坦性問題」と呼ばれます。少し耳慣れない言葉ですが、これも、とても興味深い謎です。宇宙全体の形はその中にある物質やエネルギーの量によって決まると考えられています。量が多ければ、宇宙はボールの表面のように丸く曲がる。少なければ、馬の鞍のように反り返る。そして、ちょうどある特別な量のときだけ、宇宙はどこまでも、まっすぐに広がる「平ら」な形になります。

そして、私たちの宇宙を実際に観測してみると、それは驚くほどみごとに「平ら」なのです。これの何が問題なのでしょうか。実はこの「平ら」という状態は、非常に不安定で、きわどい綱渡りのような状態なのです。もし、宇宙の初期にその量がほんのわずかでも、多すぎたり少なすぎたりしていたら、その差は時間とともにどんどん拡大して、今ごろ宇宙は大きく曲がってしまっていたはずなのです。 たとえるなら、鉛筆をその芯の先で机の上にまっすぐ立て続けるようなものです。ほんの少しでも傾けばすぐに倒れてしまう。それなのに、私たちの宇宙は138億年ものあいだ、そのきわどい「平ら」をみごとに保ち続けている。これは、いったいなぜなのか。宇宙は、生まれたときに信じられないほど精密にその量を調整されていたということになる。このあまりの「できすぎ」も大きな謎だったのです。

インフレーションが、すべてを解く

さて、この二つのやっかいな謎。「地平線問題」と「平坦性問題」。実は、インフレーションというたった一つのアイデアが、この両方をあざやかに解いてしまうのです。ここが、この理論のいちばん鮮やかなところです。

まず、地平線問題から。インフレーションが起きる前、宇宙はまだとても小さな領域でした。小さいからこそその中では、すみずみまで熱をやりとりする時間がじゅうぶんにあった。つまり、同じ温度になじみ合うことができたのです。そして、そのすっかり均一になったごく小さな領域が、インフレーションによって一気に宇宙全体の大きさにまで引き伸ばされた。だから、宇宙のどこを見ても温度がそろっている。もともと、ひとつのなじみ合った小さな領域が引き伸ばされただけだったのです。

次に、平坦性問題。これも同じ理屈で解けます。どんなにでこぼこに曲がった風船でも、それをとほうもなく大きく膨らませれば、その表面のほんの一部分を見るかぎり、まっすぐ平らに見えてきますよね。宇宙もまったく同じです。もともと、どんな形をしていたとしてもインフレーションでけた違いに引き伸ばされたことで、私たちに見える範囲はみごとに平らにならされてしまった。一つの急膨張という筋書きが、二つのまったく別に見えた謎をいっぺんに解き明かす。このあざやかさこそ、多くの科学者がインフレーションを支持する大きな理由なのです。 一つのアイデアが、まったく別に見えたいくつもの謎をまとめて解いてしまう。科学では、こういうときその理論は『きっと何か本当のことをとらえているに違いない』と感じられます。ばらばらだった点が、一本の線ですっとつながる瞬間。インフレーションが、多くの物理学者の心をつかんだのは、まさにその鮮やかな『つながり』の感覚があったからなのです。

星と、私たちの、意外な起源

さて、ここからが今回のいちばんの聞きどころです。インフレーションは、宇宙をのっぺりと均一にならしました。ところが、もし宇宙が完全につるつるで均一なままだったらどうなっていたでしょうか。実は、そうだったら星も、銀河も、そして、私たちも、決して生まれてこなかったのです。

なぜなら、星や銀河が生まれるには物質が、あちらこちらで少しだけ濃く集まっている「むら」が必要だからです。物質が、少し濃い場所に重力でまわりの物質がさらに引き寄せられ、長い時間をかけて星や銀河へと育っていく。もし、宇宙がどこもかしこも完全に均一だったら、その「種」となる濃い場所がどこにもなかったことになります。

完全に均一な宇宙というのは、いわばどこまでもまっ平らな水面のようなものです。さざ波一つ立っていなければ、そこから何かが生まれてくることはありません。星や銀河が生まれるには、どうしてもほんの少しのでこぼこ——『むら』の種が必要だったのです。均一すぎる宇宙は美しいけれど何も生まれない静かな宇宙。私たちはほんの少しゆらいでいてくれた宇宙の子どもなのです。

では、その大切な「むら」は、いったいどこから来たのでしょうか。ここで、前回お話しした量子の世界が驚くべき形で登場します。インフレーションが始まる前のごく小さな宇宙ではあの「量子ゆらぎ」——何もない空間がたえずこまかくゆらいでいるあの現象が起きていました。ミクロの世界のごくごく小さなゆらぎです。 そして、インフレーションは、そのミクロのちっぽけなゆらぎをけた違いの膨張によって、いっきに宇宙全体の大きさにまで引き伸ばしたのです。ミクロのささやかな濃い薄い、のゆらぎが、そのまま宇宙規模の物質の「むら」になった。そして、その「むら」の少し濃い場所がやがて星となり、銀河となり、太陽系となり、地球となり——そして、あなたになったのです。

あなたは、最初のゆらぎの、子孫である

もう一度、かみしめてみてください。今、あなたが見上げる夜空の星々。その一つひとつが、宇宙が生まれた10のマイナス34乗秒の間に起きたミクロの量子ゆらぎをおおもとにしています。そして、その星の材料からあなたの体もまた作られています。つまり、あなたという存在のいちばん最初の設計図は、宇宙のあの一瞬のちっぽけな「ゆらぎ」に記されていたということになるのです。

私は、この事実を知ったとき思わず鳥肌が立ちました。ミクロの世界の偶然のさざ波が、けた違いに引き伸ばされて銀河になり、星になり、そして、今、それについて考えている私たち自身になった。宇宙でいちばん小さなものと、いちばん大きなものが、一本の糸でつながっている。この壮大な物語こそ、インフレーション理論が、私たちに教えてくれるいちばん詩的な真実なのです。

そして、この「量子ゆらぎが宇宙の構造の種になった」という予言は、決して絵空事ではありません。宇宙マイクロ波背景放射を精密に観測すると、そこには、ごくわずかな温度のむらがまだら模様として写っています。そのまだらの細かさや、分布の具合が、インフレーション理論の予言と驚くほどよく一致しているのです。頭の中で考えたミクロのゆらぎの理論が、本物の宇宙最古の光の中にその痕跡を残していた。これは、この理論を支える強力な証拠の一つとなっています。 考えてみれば、これは驚くべきことです。ミクロの世界のほんの一瞬のゆらぎ。それが138億年の時を超えて、今望遠鏡がとらえる宇宙最古の光のまだら模様として私たちの目の前に残っている。頭の中の数式とはるか彼方の観測とがぴたりと手を結ぶ。理論と現実とがこれほどみごとに響き合う瞬間に立ち会えることこそ、宇宙を学ぶいちばんの喜びなのだと私は思います。

インフレーションは、どうやって終わったのか

では、そのとてつもない急膨張は、なぜ始まり、そして、どうやって終わったのでしょうか。インフレーションを引き起こしたのは、当時の宇宙を満たしていたある種の特別なエネルギーだったと考えられています。このエネルギーが宇宙を猛烈な勢いで押し広げる働きをしていたのです。ただし、その正体が何であったのかは、実はまだ完全には分かっていません。

そして、この急膨張は永遠には続きませんでした。やがて、その特別なエネルギーが役目を終えると、インフレーションは終わりを迎えます。このとき、膨張を担っていた莫大なエネルギーが、いっきに熱と無数の粒子へと姿を変えました。冷えきっていた宇宙が、この瞬間ふたたび灼熱の火の玉へと生まれ変わったのです。

実は、私たちがふだん「ビッグバンの、熱い火の玉」と呼んでいるあの灼熱の宇宙は、このインフレーションが終わった直後の姿だと考えられています。つまり、順番としては、まずプランク時代があり、次にインフレーションによる急膨張があり、そして、それが終わって熱い火の玉の宇宙が始まった。このインフレーションの終わりに宇宙がふたたび熱くなる出来事は、「再加熱」と呼ばれています。私たちの体を作る素粒子たちの直接の親は、この「再加熱」で生まれたと言ってもいいのです。 少し整理しておきましょう。よく『宇宙はビッグバンで、熱く始まった』と言われます。この言い方はまちがいではありません。ただ、より正確に言えば、その『熱い始まり』のさらに前に冷たいインフレーションの時代があり、それが終わる『再加熱』で宇宙は熱くなった、ということになります。私たちが『ビッグバン』という言葉で思い描くあの灼熱の火の玉は、宇宙のいちばん最初の姿ではなく、インフレーションという壮大な前奏曲のあとに訪れた第二楽章だったのです。

提案した人々

このインフレーションという大胆なアイデアは、いったい誰が考え出したのでしょうか。1980年代のはじめ複数の物理学者が、ほぼ同じ時期にそれぞれ独立によく似た考えにたどり着きました。

その代表としてよく名前が挙がるのが、アメリカのアラン・グース、そして、日本の佐藤勝彦という研究者です。実は、佐藤勝彦さんは、グースとほぼ同じ時期、あるいは、少し先に、よく似たアイデアを発表していました。宇宙のいちばん大きな謎の一つに、日本の研究者が世界の最先端で深く関わっていたというのは私たちにとって、少し誇らしい話ではないでしょうか。

さらに、その後、アンドレイ・リンデをはじめとする研究者たちが、最初のアイデアのうまくいかない部分を次々と改良し、インフレーション理論をより完成度の高いものへと育てていきました。一つの理論が、たった一人の天才によってではなく、国境を越えた大勢の人々のたゆまぬ努力によって磨き上げられていく。これもまた、現代科学の一つの美しい姿なのです。 ちなみに、最初にグースがこのアイデアを思いついたとき、それは彼が取り組んでいた、まったく別の問題を解こうとする過程で、ふと生まれたものでした。ある謎を解こうとしていたら、思いがけず宇宙全体の始まりを説明する大きな鍵に行き当たった。科学の大発見には、しばしば、こうした偶然の出会いがひそんでいます。真剣に一つの問いを追いかけていると、思いもよらない扉が開くことがある。それも、探究という営みの醍醐味の一つなのです。

まだ残る、証拠と、謎

インフレーション理論は、地平線問題や、平坦性問題をあざやかに解き、宇宙マイクロ波背景放射のむらもみごとに言い当てました。今では、宇宙のはじまりを説明するもっとも有力な理論の一つと考えられています。けれど、正直にお伝えしておかなければなりません。この理論もまだ完全に証明されたわけではないのです。

科学者たちが、決定的な証拠として追い求めているものがあります。それは、前回も少し触れた「原始重力波」です。もし、インフレーションが本当に起きたのなら、そのあまりにはげしい急膨張は、時空そのものにかすかな「さざ波」を刻みつけたはずです。その宇宙最古のさざ波をとらえることができれば、それは、インフレーションが確かに起きたという動かぬ証拠になると考えられています。

この原始重力波を探す観測は、今も世界中で続けられています。もし、それがはっきりと見つかれば、私たちは宇宙誕生の10のマイナス34乗秒という想像を絶する瞬間をじかにのぞき見たことになります。それは、人類の宇宙観をまた一つ大きく塗り替える歴史的な発見になるでしょう。宇宙のいちばん最初のさざ波を、私たちは今必死に聞き取ろうとしているのです。 そして、たとえこの理論が、将来、修正されたり、まったく新しい理論に置きかえられたりする日が来たとしても、それは、決して無駄にはなりません。インフレーションが投げかけてくれた問い——『なぜ、宇宙は均一なのか』『なぜ、平らなのか』『星の種は、どこから来たのか』——その問い自体が、私たちの宇宙を見る目をはるかに深いものにしてくれたのですから。良い理論はたとえ乗り越えられても、良い問いをあとに残していくのです。

無数の宇宙を、生み出し続ける?

インフレーション理論を深く突き詰めていくと、少しめまいのするような可能性が見えてきます。それは、第三回でも少し触れた「マルチバース」——多宇宙の考え方です。ある研究者たちはこう考えました。インフレーションは、一度きりできれいに終わったのではなく、宇宙のあちこちで次々と新しい急膨張を生み出し続けているのではないかと。 もし、それが正しければ、私たちの宇宙はそうして生まれた無数の「泡」のうちのたった一つということになります。泡の外では、今もインフレーションが続いていて、次々と新しい宇宙の泡が生まれている。そして、それぞれの泡では物理法則さえ違っているかもしれない。もちろん、これはまだ証明されていない大胆な仮説です。他の泡を直接見ることはおそらくできません。けれど、たった一つの理論が、私たちの想像をこれほど遠くまで連れて行ってくれる。それ自体が、私はとても豊かなことだと思うのです。

一瞬が、すべてを決めた

少し立ち止まって振り返ってみましょう。宇宙が生まれてから、わずか10のマイナス34乗秒。私たちには、無に等しいほど短い時間です。けれど、この一瞬にも満たない間に、宇宙のその後のすべてを決める決定的なことが起きていました。

のっぺりと均一で、それでいて星の種となる、ごくわずかなゆらぎをあわせ持つ宇宙。まっすぐに平らに広がる宇宙。私たちが、今この宇宙で暮らせているのは、あの一瞬にインフレーションが絶妙な下ごしらえをしてくれたおかげなのです。もし、あの急膨張がなかったら。あるいは、少しでも違う起き方をしていたら。今のこの星に満ちた宇宙も、私たち自身も、決して存在しなかったかもしれません。 宇宙でいちばん短いこの一瞬。けれど、その中にはこれから生まれるすべての星と、すべての銀河と、そして、あなたのいちばん最初の設計図が、確かに書き込まれていた。私は、夜空を見上げるたびに、あの遠い遠い一瞬のことを思わずにはいられません。

まとめ

今回のポイントを振り返りましょう。ひとつ、宇宙は誕生直後のほんの一瞬に、10の26乗倍以上という、けた違いの急膨張「インフレーション」を起こしたと考えられている。ふたつ、それは、ふつうのビッグバン理論では説明できなかった「地平線問題」と「平坦性問題」という、二つの謎をあざやかにいっぺんに解いてしまう。 みっつ、そして、いちばん大切なこと。インフレーションが、ミクロの量子ゆらぎを宇宙規模にまで引き伸ばし、それが、星や、銀河や、私たち自身の大もとの「種」になった。夜空の星も、あなたの体も、そのルーツをたどれば、宇宙誕生のあの一瞬のちっぽけなゆらぎに行き着くのです。宇宙でいちばん小さなものと、いちばん大きなものが、一本の糸でつながっている。それが、インフレーションが、私たちに教えてくれる壮大な真実なのです。

次回予告

さて、インフレーションが終わり、宇宙はふたたび灼熱の火の玉へと生まれ変わりました。次回は、その燃えさかる宇宙の中で、いよいよ、私たちの世界を形づくるいちばん基本的な「部品」たちが生まれてくる場面に立ち会います。クォーク、電子、そして、光。物質のいちばん小さなかけらである「素粒子」が、灼熱の海の中から次々と姿を現していく。今あなたの体を作っている素粒子も、まさに、この時代に生まれました。次回『素粒子の誕生 ── すべての物質のはじまり』。宇宙が、はじめて「物」を持った瞬間へご案内します。どうぞお楽しみに。

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この記事を書いた人

宇宙の「なぜ」を解明できないか日々真実を探し求め、新しい発見にワクワクしている。

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