MENU

第3回 特異点の謎と時間の始まり

目次

オープニング

前回、私たちは、宇宙の膨張を、時間の針を逆向きに回していくと、すべてが、たった一点に集まっていく、というお話をしました。銀河が近づき、物質が密集し、宇宙が熱く、小さくなっていく。では、その巻き戻しの、いちばん最後の瞬間には、いったい何があるのでしょうか。

そして、宇宙のことを考えると、多くの人が、ほとんど必ず、一度は抱く、あの素朴な疑問があります。「ビッグバンの、前には、何があったの?」。子どもでも思いつく、シンプルな問い。ところが、これは、現代物理学が、いまだに真正面から答えきれていない、とてつもなく深い問いなのです。

今回は、宇宙でもっとも謎めいた場所——すべての始まりの、そのまた始まりへと、足を踏み入れていきます。物理学者が「特異点」と呼ぶ、常識のいっさい通用しない世界。そして、「時間の始まり」という、めまいのするようなテーマに、挑んでいきましょう。 あらかじめ、一つだけ、お伝えしておきます。今回のテーマには、「まだ、誰にも分かっていない」という部分が、たくさん出てきます。けれど、それは、決して、がっかりするような話ではありません。むしろ、宇宙の始まりという、人類最大級の謎の、いちばん面白いところに、これから、一緒に立ち会おうとしている——そう思って、わくわくしながら、聞いていただけたら、うれしいです。

逆回しの果てにある「特異点」

もう一度、宇宙の時計を、うんと巻き戻していきましょう。宇宙は縮み、物質はぎゅうぎゅうに押し込められ、温度は、ぐんぐん上がっていきます。星も、原子も、やがては原子核さえも、圧倒的な熱と圧力の中で、ばらばらに溶けていく。そして、最後の瞬間、理論の計算が示すのは——宇宙のすべてが、「大きさゼロ、密度は無限大、温度も無限大」という、一点に行き着く、という結果です。

この、想像を絶する一点を、物理学では「特異点」と呼びます。すべての物質、すべてのエネルギー、そして宇宙そのものが、大きさを持たない、たった一つの点に凝縮している。これが、私たちの理論が指し示す、宇宙の始まりの姿です。 ただし、ここで、とても大切な注意があります。「特異点」というのは、宇宙の始まりを、きれいに説明してくれる「答え」ではありません。むしろ、その正反対です。特異点とは、私たちの理論が、そこで壊れてしまう「限界の場所」を、指し示す言葉なのです。この意味を、次に、もう少しくわしく見ていきましょう。

「無限大」は、理論が壊れたサイン

物理学者は、計算の途中で「無限大」という答えが出てくると、喜ぶどころか、むしろ、警戒します。なぜなら、無限大は、たいていの場合、「この理論は、ここで、もう通用しなくなっていますよ」という、危険信号だからです。

身近な例で考えてみましょう。小学校で、「ゼロで割り算をしてはいけない」と、習ったのを覚えているでしょうか。1を、どんどん小さな数で割っていくと、答えは、どんどん大きくなります。0.1で割れば10、0.001で割れば1000、というふうに。そして、割る数を、限りなくゼロに近づけていくと、答えは、無限大へと発散して、もう、意味をなさなくなってしまう。

特異点で起きているのも、これと似たことです。宇宙の大きさが、限りなくゼロに近づいていくと、密度や温度が、無限大へと発散してしまう。それは、宇宙が本当にそうなっている、というよりは、「私たちの今の方程式では、もう、この状況を正しく計算できません」という、白旗のサインなのです。特異点は、答えではなく、『今、いちばん解けていない、最大の謎』。まずは、そう捉えてください。 実は、この「特異点」が現れるのは、宇宙の始まりだけでは、ありません。ブラックホールの、いちばん奥深く——その中心にも、すべてが一点に押しつぶされた特異点がある、と理論は告げています。宇宙の始まりと、ブラックホールの中心。まったく別の場所に見えて、じつは、同じ「理論の壊れる場所」が顔を出す。だからこそ、ブラックホールの研究は、宇宙の始まりの謎を解くための、大切な手がかりの一つにも、なっているのです。

特異点は、理論が「予言」した

特異点について、もう少しだけ。実は、この特異点は、誰かが、頭の中で勝手に想像したもの、ではありません。アインシュタインの、一般相対性理論という、これまで数えきれないほど検証され、そのたびに正しさが確かめられてきた、信頼できる理論そのものが、「宇宙を、どんどん遡っていくと、必ず特異点にぶつかる」と、予言しているのです。 これを、数学的に厳密に示したのが、ロジャー・ペンローズや、若き日のホーキングたちでした。彼らは、ごく自然な条件のもとでは、宇宙の始まりに、特異点が、どうしても避けられない、ということを証明したのです。つまり特異点は、理論から、むりやり出てきた、おまけのようなものではなく、理論の、いわば本音の部分から、はっきりと顔を出してくる。だからこそ、物理学者たちは、これを、真剣に受け止めざるを、えないのです。

「ビッグバンの前」を、なぜ問えないのか

さて、いよいよ、本題の核心です。「ビッグバンの前には、何があったの?」。この問いに、多くの物理学者は、少し意外な答え方をします。「その問いは、おそらく、意味をなさないのです」と。

なぜ、そう言えるのでしょうか。それは、時間そのものが、ビッグバンとともに、始まったと考えられているからです。前回、空間が、ビッグバンで生まれた、とお話ししました。実は、時間もまた、まったく同じように、あのとき、初めて生まれたのです。

時間が、ビッグバンで始まったのだとすると、「ビッグバンより前」というのは、「時間が始まる、前の時間」ということになります。これは、よく、こんなたとえで説明されます。あなたが、地球の北極点に立っているとしましょう。そこで、「ここより、もっと北はどこですか?」と、たずねたら、どうでしょう。北極点は、地球上でいちばん北の場所ですから、そこから先に、「北」は、もう、存在しません。 「時間の始まり」も、これと、そっくりです。ビッグバンが、時間のいちばん端っこ、いわば『時間の北極点』なのだとしたら、その「前」という時刻は、そもそも、どこにも存在しない。だから、「前には何があったのか」という問いは、成り立ちようがない——そう考えられているのです。これは、あの有名な物理学者、スティーヴン・ホーキングが、好んで使ったたとえでもあります。

空間と時間は、切り離せない

「時間が生まれた」と言われても、正直、ピンとこないかもしれません。私たちは、時間というものを、宇宙とは関係なく、勝手に、一定のペースで流れ続けている、絶対的なものだと感じています。ところが、20世紀の物理学は、その常識を、根底からくつがえしました。

その立役者が、アインシュタインです。彼の相対性理論によれば、空間と時間は、別々のものではなく、「時空」という、ひとつづきの布のように、分かちがたく結びついています。空間が、伸びたり縮んだりするなら、時間もまた、伸び縮みする。重力の強い場所では、時間の進み方さえ、ゆっくりになる。時間は、私たちが思っているほど、絶対的で、頑丈なものでは、なかったのです。

「時間が、伸びたり縮んだりするなんて、SFの話でしょう?」と思われるかもしれません。ところが、これは、すでに私たちの暮らしの中で、確かめられている事実です。たとえば、カーナビやスマートフォンが使っているGPS衛星は、地上より重力が弱く、しかも高速で動いているために、時間の進み方が、地上とほんのわずかに、ずれています。そのずれを計算で補正しなければ、位置は、みるみるうちに、何キロもずれてしまう。時間は絶対ではない、というアインシュタインの主張は、毎日、あなたのスマートフォンの中で、証明され続けているのです。 この「時空」という考え方に立てば、ビッグバンで生まれたのは、空間だけではなく、時間も含めた「時空」まるごとだった、と考えるのが、自然になります。宇宙の始まりとは、単に「物」が生まれたことではなく、それを入れる「入れ物」である、空間と時間そのものが、生まれた出来事だった。だからこそ、その「外」や「前」を問うことが、これほど難しくなるのです。

なぜ「始まり」は、こんなに想像しづらいのか

ところで、なぜ私たちは、「宇宙の始まり」を、これほど、うまく思い描けないのでしょうか。理由の一つは、私たちの脳が、「原因と結果」で、ものを考えるように、できているからです。何かが起きたら、必ず、その前に、それを引き起こした原因がある。私たちは、そう考えるのが当たり前の世界に、生きています。 ところが、宇宙の始まりは、その「前の原因」という考え方が、通用しない出来事かもしれないのです。時間の始まりには、「前」がない。だとすれば、「何が、宇宙を始めさせたのか」という、原因を問う問いそのものが、当てはまらなくなる。私たちの直感が、ここで、うまく働かないのは、当然なのです。なにしろ私たちの常識は、あくまで、宇宙が始まった『後』の世界で、育まれたものなのですから。

時間は、なぜ「前」へ進むのか

「時間の始まり」に関連して、もう一つ、不思議な問いを紹介させてください。それは、「そもそも、時間は、なぜ、未来へ向かって、一方通行で進むのか」という問いです。

考えてみれば、これは、とても奇妙なことです。空間なら、私たちは、右にも左にも、前にも後ろにも、自由に動けます。ところが、時間だけは、過去から未来へと、決して逆戻りできません。割れたコップは、ひとりでに元には戻らないし、こぼれたミルクも、コップには戻らない。この「時間の向き」は、いったい、どこから、来るのでしょうか。

たとえば、熱いコーヒーは、放っておけば、必ず冷めていきます。冷めたコーヒーが、ひとりでに、また熱くなることは、決してありません。散らかった部屋が、ひとりでに片づくことも、ないですよね。世界は、放っておくと、必ず、より乱雑なほうへと進んでいく。この「元には戻れない」という一方通行の積み重ねこそが、私たちが感じている、時間の流れの正体なのだ、と考えられています。 実は、この「時間の矢」の向きは、宇宙が、秩序だった状態から、だんだんと、乱雑な状態へ向かっていく、という性質と、深く関わっていると考えられています。そして、その出発点にあるのが、ほかでもない、ビッグバンの、とても特別で、整った状態なのです。つまり、私たちが感じている「時間の流れ」の源を、たどっていくと、やはり、宇宙の始まりに、行き着く。時間の始まりを問うことは、時間そのものの正体を問うことでも、あるのです。

それでも、科学者はあきらめない

もちろん、科学者たちは、「特異点は理論の限界です」と言って、そこで、あきらめてしまったわけではありません。むしろ、逆です。「今の理論が、そこで壊れるのなら、その壊れる場所を、きちんと乗り越えられる、新しい理論を作ればいい」。そう考えて、さまざまな、大胆なアイデアが、提案されています。

一つ目は、「サイクリック宇宙論」という考え方です。私たちの宇宙は、たった一度きり生まれて終わり、なのではなく、膨張と収縮を、何度も何度も、繰り返しているのではないか。今のこの宇宙も、その、長い長いサイクルの、一つの周期にすぎない、という考えです。もしこれが正しければ、「ビッグバンの前」には、前の周期の宇宙が、あったことになります。

二つ目は、「ビッグバウンス」、日本語で言えば「大跳ね返り」という仮説です。これは、以前に存在した宇宙が、収縮していって、極限まで縮んだところで、つぶれきる代わりに、ボールが跳ね返るように、ふたたび膨張へと転じた——それが、私たちのビッグバンの正体だ、という考え方です。特異点で行き止まりになるのではなく、そこを、跳ね返り点として、通り抜ける、というわけです。 これらの「繰り返す宇宙」という考え方が、多くの人を惹きつけるのには、理由があります。もし宇宙が、生まれては終わり、また生まれる、というリズムを、永遠に刻んでいるのなら、「たった一度きりの、絶対的な始まり」という、いちばん説明の難しい部分を、避けて通れるからです。もちろん、それが本当かどうかは、これからの観測にかかっています。けれど、「始まり」の謎を、少しでもやわらげようとする、人間の知恵の工夫として、私は、とても面白いと感じます。

無数の宇宙という考え

三つ目は、もっと、想像力をかき立てる考え方です。「マルチバース」、つまり「多宇宙」という発想です。これは、私たちの宇宙は、たった一つの、特別な存在ではなく、泡のように、次々と生まれてくる、無数の宇宙の、一つにすぎない、という考え方です。

もし本当に、宇宙が無数にあるのだとしたら、私たちの宇宙は、大海の中の、ひとしずくに、すぎないことになります。思えば人類は、地球が宇宙の中心だと信じていた時代から、少しずつ、自分たちの「特別さ」を、手放してきました。地球は、太陽をめぐる惑星の一つ。太陽は、銀河にある、ありふれた星の一つ。そして今、私たちの宇宙さえも、数えきれない宇宙の一つかもしれない、というところまで、来ています。それは、少し寂しくもあり、そして同時に、途方もなく、わくわくする眺めでも、あるのです。

この考えの背景には、次回以降でお話しする「インフレーション」という理論があります。ある研究者によれば、宇宙の急膨張は、一度きりでは終わらず、あちらでも、こちらでも、次々と、新しい宇宙の泡を生み出し続けている、というのです。もしそうなら、私たちの宇宙の「始まり」は、その巨大な泡立ちの中の、ローカルな一つの出来事、ということになります。 これらのアイデアは、まだ、どれも、証明されてはいません。SFのように聞こえるかもしれません。けれど、大切なのは、人類の想像力が、「方程式が壊れる場所」の、そのさらに向こう側へと、必死に手を伸ばそうとしている、ということです。私は、その姿勢そのものが、とても美しいことだと思います。

ホーキングの「始まりのない始まり」

もう一つ、ぜひ紹介したい、エレガントな考え方があります。スティーヴン・ホーキングたちが提案した、「無境界仮説」と呼ばれるアイデアです。少し不思議な名前ですが、これは、「宇宙には、そもそも、はっきりした始まりの境目など、ないのではないか」という考え方です。

ホーキングは、こう考えました。特異点という、とがった「始まりの一点」で、時間がぷつんと始まる、というのは、いかにも、都合が悪い。そこで、もし宇宙の始まりのあたりを、うまく数学的に扱うと、時間の始まりが、とがった点ではなく、ちょうど、地球の表面のように、なめらかにつながっているとしたら、どうだろう、と。 地球の表面には、「ここが端っこ」という縁は、どこにもありませんね。同じように、宇宙の始まりにも、「ここが最初の瞬間」という、はっきりした縁は、ないのかもしれない。北極点に「その先の北」がないように、宇宙の始まりにも「その前」がない。けれど、北極点が、地球の「縁」でも「穴」でもなく、ただの、なめらかな一点であるように、宇宙の始まりも、破綻した特異点ではなく、なめらかな一点なのかもしれない——。とても、想像力を刺激する考え方です。

「無」から生まれた、とはどういうことか

ここまで来ると、多くの人が、こう思うはずです。「結局、宇宙は、何もない『無』から、ひとりでに生まれた、ということ? そんなこと、あり得るの?」と。これは、人類が、大昔から問い続けてきた、究極の疑問です。

現代の物理学には、これに挑む、興味深いアイデアがあります。ミクロの世界では、何もないように見える空間からも、ごく短い時間なら、粒子が、ふっと生まれては、消える、ということが、実際に起きています。これを「量子ゆらぎ」と呼びます。ミクロの世界の「無」は、私たちが思うような、完全な空っぽではなく、たえず、何かが生まれかけている、ざわめいた状態なのです。宇宙そのものも、こうした「ゆらぎ」から、ふっと生まれたのではないか、と考える研究者もいます。

ただし、ここで言う「無」は、哲学者が思い描くような、「いっさい何も存在しない」完全な無とは、少し違います。物理学が扱えるのは、あくまで、法則や場といったものが存在している上での、「空っぽ」です。「そもそも、なぜ、法則や場が存在するのか」——その、いちばん根っこの問いには、物理学も、まだ答えを持っていません。ここは、正直に、線を引いておきたいところです。 さらに、こんな驚くべき見方もあります。宇宙全体の「エネルギーの合計」を計算すると、物質が持つプラスのエネルギーと、重力が持つマイナスのエネルギーとが、ちょうど打ち消し合って、ぜんぶ足すと、ほぼ「ゼロ」になるかもしれない、というのです。もしそうなら、宇宙を生み出すのに、特別なエネルギーは、必要なかったことになる。差し引きゼロだから、『何もないところ』から始まっても、つじつまが合う——。もちろん、これは、まだ仮説の一つです。けれど、「無から宇宙が生まれる」という、一見あり得なさそうな話が、物理学の言葉で、真剣に議論できる、というのは、驚くべきことではないでしょうか。

分からないことを、分からないと言う強さ

ここまで、いくつもの仮説を紹介してきましたが、正直に言えば、「宇宙の始まりの、本当のところ」は、まだ、誰にも分かっていません。特異点の謎を、本当に解き明かすには、前回もお話しした、重力と量子の世界を、ひとつに統一する理論——「量子重力理論」が、どうしても必要です。そして、それは、まだ完成していないのです。

そして、その「量子重力理論」に、私たちがいちばん近づける場所こそ、宇宙が生まれた、ほんの一瞬——次回お話しする「プランク時代」です。特異点の、すぐ隣。物理法則が、崩れる、ぎりぎりの淵。そこを見つめることは、この未完成の理論に、貴重な手がかりを与えてくれるかもしれません。だから、今回の「分からない」は、決して行き止まりではなく、次回への入り口でもあるのです。

でも、私は、これを、少しも恥ずかしいことだとは思いません。むしろ、「ここから先は、まだ分かっていません」と、正直に線を引けることこそ、科学の、いちばんの強さだと思うのです。分からないことを、分かったふりでごまかさない。証拠のないことは、証拠がない、と認める。その誠実さがあるからこそ、科学は、少しずつでも、確実に、前に進んでこられました。 このシリーズでも、私は、その姿勢を、大切にしていきます。分かっていることは、はっきりと。まだ謎であることは、謎である、と。宇宙の物語には、すでに解かれた章と、これから解かれる章が、両方あります。そして、その「まだ解かれていない章」があるからこそ、この探究は、これほどまでに、スリリングなのです。

人類が、ずっと問い続けてきたこと

「世界には、始まりがあったのか」。この問いは、決して、現代の科学者だけのもの、ではありません。世界中の、あらゆる文明が、神話や、宗教や、哲学の中で、それぞれの「始まりの物語」を、語り継いできました。何もないところから、世界が生まれる。その物語を、人類は、何千年ものあいだ、思い描き続けてきたのです。

現代の宇宙論が、それらと違うのは、その「始まりの物語」を、想像や信仰だけでなく、観測と、計算と、証拠にもとづいて、少しずつ確かめようとしている、という点です。もちろん科学は、「なぜ、宇宙は存在するのか」という、いちばん深い問いには、まだ答えられていません。けれど、「どのように始まったのか」については、驚くほど多くのことを、明らかにしてきました。この、人類共通の、古くて新しい問いに、私たちも、これから、少しずつ近づいていきましょう。 面白いのは、世界中のどの神話も、しばしば「はじめに、混沌があった」とか「何もない闇が広がっていた」といったところから、物語を始めている、ということです。時代も、場所も、まったく違う人々が、そろって「世界の始まり」を思い描こうとした。その問いのバトンを、今、私たちは、望遠鏡と数式を手にして、受け取っているのです。

宇宙は「必然」だったのか、「偶然」だったのか

もう一つ、考えずにはいられない問いがあります。この宇宙は、生まれるべくして、生まれたのか。それとも、たまたま、偶然に、生まれたのか、という問いです。 もし、マルチバースの考えが正しくて、無数の宇宙が、次々と生まれているのだとしたら、その中には、私たちの宇宙とは、まったく違う物理法則を持つ宇宙も、あるかもしれません。そして、そのほとんどでは、星も、生命も、生まれることが、できない。私たちが、たまたま、星や生命の生まれられる宇宙にいるのは、そういう宇宙でなければ、そもそも『なぜ?』と問う私たち自身が、存在しえないから——そういう考え方も、あります。宇宙の始まりを問うことは、めぐりめぐって、「なぜ、私たちは、ここにいるのか」という問いにも、つながっていくのです。

それでも、私たちは「今」を確かに生きている

時間の始まりだとか、無からの誕生だとか、頭がくらくらするような話が、続きました。ここで、少しだけ、地に足を、つけておきましょう。どれほど、始まりが謎に包まれていても、確かなことが、一つ、あります。それは、こうして今、宇宙が存在し、あなたが、この瞬間を、確かに生きている、ということです。 始まりの一点が、どんなに奇妙で、理解しがたいものであっても、そこから、138億年の時が流れ、星が生まれ、地球ができ、そして、あなたが、ここにいる。この、動かしがたい「現在」こそが、宇宙に始まりがあったことの、何よりの証拠であり、そして、この壮大な物語の、いちばん確かな到達点なのです。謎に満ちた始まりから、確かな今へ。その、気の遠くなるような道のりを、これから、一歩ずつ、たどっていきましょう。

この謎に、どう向き合うか

宇宙の始まりという、途方もない謎を前にすると、人によっては、少し、こわくなったり、落ち着かない気持ちに、なるかもしれません。「そんな、根本的なことすら、まだ分かっていないのか」と。けれど、私は、こう思うのです。分からないことが、こんなにも、たくさん残っている。それは、私たちの世代にとって、むしろ、幸運なことではないか、と。 もし、すべての謎が、すでに解き明かされていたら、探究する楽しみは、もう、残っていません。宇宙の始まりは、今を生きる私たちに、「まだ、考えるべきことが、こんなにあるよ」と、語りかけてくれている。この、答えの出ていない問いを、こわがるのではなく、わくわくしながら、味わっていく。それが、この138億年の旅を、いちばん深く楽しむ、コツなのだと思います。

まとめ

今回のポイントを、振り返りましょう。ひとつ、宇宙の膨張を逆算した果てにあるのが、密度も温度も無限大の「特異点」。ただし、これは答えではなく、今の物理学が限界を迎える、というサインである。ふたつ、時間そのものが、宇宙と同時に生まれたため、「ビッグバンの前」を問うことは、「北極点より北はどこか」と問うのと同じで、原理的に、成り立たない。 みっつ、それでも科学者たちは、サイクリック宇宙、ビッグバウンス、マルチバース、無境界仮説といった、大胆なアイデアで、その謎に挑み続けている。そして、その先へ進むには、重力と量子を統一する、新しい理論が必要になる。宇宙の始まりは、人類にとって、いまだ最大の、そして、最も心躍る、未解決の問いなのです。

次回予告

さて、特異点の、ほんのすぐ後——宇宙が誕生してから、わずか、10のマイナス43乗秒という、とてつもなく短い一瞬。小数点の後に、ゼロが42個も並ぶ、という、想像を絶する時間です。この、はじまりの中のはじまりは、「プランク時代」と呼ばれています。そして、この時代には、私たちが知っている、どんな物理法則も、通用しません。重力と、量子の世界とが、はげしくせめぎ合う、物理学、最大のフロンティア。次回、『プランク時代 ── 物理法則が崩れる世界』。科学が、まだ足を踏み入れられずにいる、最後の秘境へ、ご案内します。どうぞ、お楽しみに。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

宇宙の「なぜ」を解明できないか日々真実を探し求め、新しい発見にワクワクしている。

目次